カシャカシャ―

 

都内にある高級ホテルの大宴会場に、多くの報道陣が集まっている。世界的料理評価サイトである『ミシェラン』が、2015年の星を獲得したレストランの発表を行うからだ。

 

そこに、料亭『藤村』の女将がいた。

 

話を2年前の2013年に戻そう。

俺、伊橋悟は『藤村』の“立板”という職を捨て、フランス帰りの料理人・中津川浩とのテレビでの料理対決に臨んだ。もちろん、勝ったのは俺。でも、料理対決をしながら、やはり熊野の親方には勝てないと感じてもいた。

そこで俺は、料理対決の勝者に与えられる、藤村より有名な老舗料亭の“花板”の座をもらわず、親方の元に戻る決意をし、再び藤村で“立板”として働かせてもらっている。

 

だが、俺のテレビ出演が、『藤村』に変化を与えることになるとは、誰も予想しなかった。

『藤村』は、ホームページも持たず、かつテレビの取材も一切お断りしている。親方が、そういった集客方法や派手なものを好まないからだ。

だから、今まで『ミシェラン』の調査員にも名前が知られていなかった。

それが、俺がテレビに出たことで、『ミシェラン』の調査員が「一つ星に値するレストランかもしれない」と考えた。

テレビとは違い、『ミシェラン』の調査員は、一般のお客様として来店される。藤村は、一般のお客様ならば、誰でも受け入れる(今思えば、「最近、外人さん、よくくるね」なんて話をしていたのだが)。

 

一つ星を与えるか与えないかのジャッジで『藤村』に足を運んだ『ミシェラン』だが、予想しなかったことが起こる。

 

親方の料理のレベルの高さが三ツ星クラスだったことである。

 

親方の名前は、日本料理関係者なら知らない人はいなくても、『藤村』は有名料亭ではない(先月、多くの外国人が来店したのは、『ミシェラン』が総動員して『藤村』の料理の審査をしていたという訳だ)。

 

結果はというと、当然、三ツ星である。

でも、「料理は、個人の味の嗜好、地域性、天候、その日の食べる人のコンディションでも変わる。評価は難しい」というのが親方の持論。三ツ星での掲載をお願いする『ミシェラン』を断るという驚きの行動に出た。

 

まぁ、予想通りではある。

 

しかし、話はこれで終わらないのである。

あの二人が訪ねてきたのだ。

 

「親父さん、お久しぶりです。」

 

「おお。横山、坂巻、二人そろうなんて珍しいな。」

 

「実は今回は、親父さんにご相談がありまして。」

 

「横川と坂巻、熊ちゃん、どうしたの?」

 

「あ、女将さん。二人が相談があるということで。」

 

「そうなの。じゃあ、そのカウンターにおかけになって。私も久々にカウンターからお酌するわ」

 

「いえいえ、そんな。」

 

「いいから。元“立板”の二人と、現“花板”の熊ちゃんへの感謝の気持ち。」

 

「すいません。では、お言葉に甘えて。」

 

「ちょっと、伊橋に、簡単に出せるものないか、聞いてくるから、先に飲んでいて。」

 

「ありがとうございます。」

 

「で、相談というのは?」

 

「親父さん。親父さんの所にも『ミシェラン』来ませんでしたか?」

 

「うん?」

 

「実は、うちの店にも『ミシェラン』が来まして。うちは小料理屋なんですが、今年から、そういった店も対象にしているらしく、一つ星を頂きまして。」

 

「実はうちもなんです。坂巻さんがいったように、定食屋のうちなんかも一つ星を頂いて。」

 

「凄いじゃないか。まぁ、お前たちなら、貰って当然の星だ。」

 

「えぇ。嫁さんも浮かれているんですが、ただ…。」

 

「ただ?どうした?」

 

「きっと親父さんの所にも『ミシェラン』がきているだろうって。でも、親父さんは星を貰っても断るだろうなと。」

 

「それで?」

 

「いえ、親父さんが星を断るのかどうかを聞きに来ただけで。それだけです。」

 

「はいはい。お待たせ。伊橋が簡単につまみを作ってくれたから」

 

「旨そうだな」

 

「もちろんじゃないですか~って、あっれー横川さん、それに坂巻さん、どうしたんですか?」

 

「いや、ちょっとな」

 

「なんだ、俺も加わっちゃおうかなー」

 

「お前は、まだ締めが残っているだろう。それに、俺たちも、宴会をする訳じゃない。」

 

「はい。すいません。戻ります。」

 

 

親方は、横川さんと坂巻さんが、自らが星を断るならば、断ろうとしているのを感じとった。

 

翌日―。

『ミシェラン』から女将さんの元に「三ツ星レストランとして掲載したい」という再度の連絡が入った。

驚いた女将さんだが、親方の承認なしに掲載することはできない。「熊ちゃん、あのー」と、なんとか掲載できないかとお願いすると、なんと「いいですよ」という返事が。

女将さんが承認すると、『ミシェラン』側からも歓喜の声が起きた。そして、「授賞式は今夜です」とのことで、女将さんが出席することになったという訳だ。

 

そのころ、調理場の俺たちはというと、何も知らされていないため、いつもの風景と変わらなかった。

それが、真由美ちゃんの声で一変する。

 

「伊橋君、これ見てー」

 

「なに言ってんだよ、真由美ちゃん。仕事中に携帯なんて見たら、親方に怒られるよ。」

 

「違うの、これ!」

 

調理場の皆が集まる。

そう、携帯電話の画面には、授賞式に出席している女将さんが映っていた。

 

「何だこれ?」

 

真っ先に口を開いたのは山さんだ。

 

「『ミシェラン』って書いてあるな?」

 

谷沢ちゃんが続く。

 

「有名料亭の名がずらりじゃないですか?」

 

信太郎も続く。

 

「もっと、よう見て!」

 

気が付けば、大勢の仲居さんも集まっていた。

 

「うん?三ツ星レストラン発表。うっわーすっげぇ高級料亭ばっか。お鮨にフレンチ、どこも3万円は超える場所だ。」

 

「そうじゃなくて。」

 

「あれ?藤村って書いてません?」

 

谷沢ちゃんが指摘する。

 

「えぇ~」

 

店中に悲鳴が上がった。

 

「何やってんだ。騒々しいぞ。」

 

「お、親方、『ミシェラン』の三ツ星に、うちの名前が。」

 

「だから何だ。気にせず、仕事しろ」

 

「いや、これって凄いことですよ。」

 

「俺たちは、納得する料理を作る。それだけだろ。さぁ、仕事だ。」

 

 

ここから『藤村』を取り巻く環境は一変する。常に満席御礼で、著名人も多く訪れた。訪れる人たちの誰もが、『藤村』を称賛した。それに比例するように、給料も上がった。

 

でも・・・

 

「熊ちゃんが、地道にやってきたことが実を結んだねぇ。テレビなどに頼らず、しっかりと弟子を育て、ここまでの料理を作り上げたんだから。」

 

「いえ、決して私の力ではありません。」

 

「でも、これだけ繁盛すれば、皆にもお返しが出来るし、良かった良かった。」

 

「はい。でも、長くは続かないかもしれません」

 

「うん?」

 

「今回、三ツ星を得たことで、多くの料理関係者が、伊橋や山口、谷沢に注目するはずです。伊橋は、助っ人ではありますが、すでに『菊華庵』で“花板”の仕事を全うしています。いつでも独立できる力を持っている。山口は“煮方”としてうちの味を知り尽くしています。『登美幸』の助っ人に山口を呼んだ時、その技術の高さを証明しました。谷沢もうちでは“焼方”ですが、“煮方”として働けるでしょう。」

 

「・・・」

 

「それに。」

 

「それに?」

 

「今回、独立した横川や坂巻が一つ星をとったことの方が、自分たちが三ツ星をとったことより、衝撃だったかもしれません。」

 

 

親方の言う通り、俺、山さん、谷沢ちゃんは、どこか浮かれ気分になれなかった。喜んでいるのは、信太朗と新しい追い回しの二人の三人だけだ。

 

「もう一件いきましょうよ~」

 

「昔は、『プライヴェートと仕事は分けさせて頂きます』なんて言ってたくせに」

 

「昔は、昔ですよ。坂巻さんの店に連れてってくださいよ~」

 

坂巻さんの店が今、どうなっているのか、俺も、山さんも、谷沢ちゃんも気になっていた。酔っ払っている信太朗をダシに、一つ星獲得後の『坂巻』に向かった。

 

満員御礼だった。それどころか、弟子が二人もいた。

 

その光景を見ながら、胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。