川淵は、ベルボーイ時代にずっと疑問を持っていた。

海外のホテルのなかには、宿泊客以外を中に入れないホテルもある。

それが日本になると、ホテルを利用していない人間が、ホテルの玄関に立ち寄り、タクシーを手配させる。ホテル付近に降車したバスの客が、平気な顔してホテルマンを呼び、荷物を持たせ、タクシーまで案内させる。

対価のないサービスが、日々の業務にあることを苦々しく思っていた。

 

そこで、川淵は考えた。

ならば、お金を払わなければ、ホテルに入れないようにしてしまえばいい。

そのために、ホテルの立地は重要になる。

本駒込六丁目。麻布と並ぶ由緒ある高級住宅地。成金の若者とは縁のない土地。ここにホテルを立てたいと川淵は考えた。

 

だが、それには資金がいる。

 

川淵は、資金を出すスポンサーを見つけるため、ホテルを退社し、水商売に転職する。目をつけたのは会員制のラウンジ。ここならば、新興企業の社長を捕まえられる。多くの社長と酒を飲むなかで、自身の理念に近い人間を探した。

 

狙いは当たり、そこで岡野と出会った。岡野は、「楽しい人生にしたい」がモットーである。岡野の目に、野心的でありながら強欲ではない川淵は、投資するに値する人間に映った。「こいつなら、俺を楽しませてくれるだろう」と。

 

そして、二人は本駒込六丁目にホテルを立てることを決意する。

 

しかし、大和郷と言われる高級住宅地にビルを建てるのは容易なことではない。

二人は、それぞれ役割を決めた。

政財界は岡野、地元住民は川淵が説得することにした。

 

川淵が目をつけたのは、徳川家の子孫である松平家だ。

未だに地元の名士である松平さえ動かせれば、あとはどうにでもなると踏んだ。松平を説得するにあたり、とにかく情緒に、ロマンを訴えることにする。

 

「現在、日本のサービス業で働く人間たちの環境は劣悪です。もちろんそれは、どの業界でもそうなのは理解しています。ただ、それでも、業界のトップは輝いている。

サービス業は、経営者以外、みな、兵隊でしかない。私は、それは日本らしくないと思っています。従業員を兵隊として見るのではなく、サッカーでいう選手としてみたい。経営者は監督です。そういうサービス業、ホスピタリティは日本が世界に誇れるものなはずです。松平さん、どうか、このプロジェクトにご協力頂けないでしょうか」

 

これで動くと思ってはいない。川淵は続ける。

 

「私が、なぜ、港区界隈を選ばずに、この文京区を選んだのかというと、文京区には日本らしさが残っています。この景観を、ホテルに宿泊する人たちは見るわけです。ホテルを作るといっても、30階を越えるようなものを作るつもりはありません。松平さんら、地元の皆様とお話し、景観を損ねず、けれども目印にはなるくらいの高さでホテルを作れればと思っています。けっして、東京駅界隈のような開発をするのではなく、景観を大切にしたホテルを作れればと思っています。」

 

川淵がホテルで培った“読む力”は見事当たった。松平は、川淵の思いにうたれ、尽力することを約束した。

 

地元の名士たちと会った川淵は、思いつきのように、「毎月、ホテルで大和郷の会をやりましょう。もちろん、費用は毎月、ホテル側がもちます」と言った。いかに、人間関係を重視しているかをアピールするための策略で、レストランのアイドルタイムに会を行えば、経営に打撃がないのは計算していた。

 

「むやみやたらに、大和郷に人が訪れるようになるのはさけたい。なので、観光スポットとはならないように、ホテルに入るためには入館料をとります。皆さんも、会にいらっしゃる時は、入館料だけはお支払い頂ければと」

 

と付け加えるのも忘れない。この“ホテルに入るための入館料”は川淵の理念でもある。

後々、地域住民ともめないためにも、このフレーズは、幾度となく使い、認識させた。

 

そしてホテルKOSが完成する。

コンセプトは『超一流ビジネスマンにくつろぎを』であり、部屋の広さよりも、豪華さを重視している。

作りは、20階建て。エレベーターは四つ。

地下2階が駐車場となっており、地下1階がホテル&オフィス従業員口とホテル従業員スペース。

1階に畳と大理石が混合しているような幻想的な玄関。

10階にフロント、

11階から15階が客室。

16階と17階がバリアフリーのサービスアパートメント。ここは年齢の高い、財界人が住んでいる。

18階に会員制のスペース。

19階に宴会場。

20階がバーラウンジとレストランという作りになっている。

 

2Fから9Fのオフィスは、多くの企業が列を成している状態だ。

というのも、ホテルKOSは平日の朝7時から10時。夕方の18時から23時まで、玄関に赤絨毯が敷かれる。その上を歩けるのは、その時間帯のホテル利用者、そしてオフィスの役員たちである。

 

こういった陳腐にも思える演出を、そう感じさせなくしているのが、一風変わったホテルKOSのシステムである。

 

ホテルKOSの司令塔は、フロントではなく、ドアである。川淵が噂を聞いて引き抜いた上川と共に作り上げた部隊は、他では類を見ないサービスをしている。

 

<第三話に続く>